クズル河の大きいカーブとエルジエス山の広大な裾野の間に広がる大草原地帯で築かれているカイセ リは数百年間よりアナトリア文明にとって重要な文化及び商業の中心地を担ってきました。この都市 は今日、近代的で、よく整理されている産業都市であると同時に歴史的そして地方観光の面でも類を 見ない豊かさを持っています。

本地区の歴史は初期ヒッタイトまで遡ります。都市の境界内に銅器時代からローマ時代末まで居住の 跡が残っています。ヒッタイト初期のキュルテペは、カニシュ王国首都のカニシュとアッシリア商人 の市場であったカルムとして二つの住宅地で築かれていました。当地区の商業的な価値は当時に始ま り、現在まで発展してきました。数百年、様々な民族に支配されました。最初の住宅については歴史 的に不明が、マザカ(カイセリ)はフリギアに支配されていた時に重要な都市になりました。現在の カイセリ(マザカ)はキュルテペから22kmの距離にあります。当地区はペルシア人に支配されていた 時、マザカはカッパドキアの首都になり、従ってペルシア文化の影響を受け、その影響はこの地方に 数百年間残りました。

当地区はアリアラテス3世に支配されている時カッパドキア王国は独立して、マザカの名前は後でエ セビアとした変わりました。カッパドキアは紀元前1世紀にローマの県になりました。都市は、ロー マ帝国が分裂した時、先ずローマの一部になり、後にビザンティンの一部になりました。その後は重 要なキリスト教中心地の一つになりました。紀元後6世紀中頃にカイセリはペルシア・ササの王、シ ャーフ・シャープールに占領されました。紀元後7・9世紀にアラブ侵入に遭ったカイセリは1071年マ ラズギルト戦勝後にイッゼット・クルチ・アルスラーンによりトルコ人の支配下になり、1075年には ダーニシメンド朝に短期間支配されました。

1923年にトルコ共和国の県になり、正式に「カイセリ」として呼ばれました。現在の主な居住地は元 々の住宅地である旧市街、旧カイセリとも知られているマザカの2km北部に築かれています。

数千年の文化遺産を保有するカイセリは、同時に絨毯及びラグなどの織物や銅器、革製品を始め、様 々な伝統工芸が盛んです。周辺が綺麗な雪に覆われているエルジエス山、伝統工芸及びカニシュ・カ ルムはカイセリを重要な観光の中心地になりました。

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